キリエ館の物語
とある館のおはなし
【とらわれの館とぼくの祖父】
魔法使い、妖精、ドラゴン、ヴァンパイア。アトランティス、宝島、ネバーランド。人間は、己の世界に存在しないものたちに思いを馳せ、出会いを願い、ときに命尽きるまで、その存在を信じ、探し求める。
僕の祖父も、自分の信念を貫き、夢を追い続け、その生涯を終えた人だった。彼の書斎の鍵を僕に託すとき、祖母は少し苦しそうな顔でささやき、僕の額にキスをした。
「あなたは、あの人と同じ瞳をしている。どうか、とらわれの館に魂が捕まりませんように。」
と。
祖母が『とらわれの館』と呼ぶ場所、祖父が、生涯をかけて探した館。
その館は「キリエ館」と言う。
キリエ館が、どこにあるのか。
誰が所有していて、何の目的で建てられたのか。
詳細は、全く不明。
ただ、祖父の手記には「我々の魂が還る場所」と記されている。
当初、僕は、どこか実在する場所を、祖父が「キリエ館」と呼んでいるのだと思った。ただ、不思議なことに、手記には住所や館の外観について一切記されておらず、唯一、館へ通じる道…というか、入り口として表現されていたのが「赤いビロードのカーテン」だった。
そこをくぐると、心地よいセロの音色と凛とした紅茶の香りに包まれ、小さな主と秀麗な給仕が出迎えてくれるという。金髪碧眼の主は、常に幼いこどものようにクルクルと表情を変え、館を訪れる人々との会話を楽しみ、また、その彼が絶大な信頼をおく給仕は、寡黙ながらも、館の重厚な調度品と同じく、客人を温かく迎え、手厚くもてなしたそうだ。
祖父の手記や、館にたどり着くために集めたコレクションをみると、まるで彼が実際にキリエ館に訪れたことがあるような錯覚に陥る。けれど、祖母は言う。彼が、訪問を切望したその館は、ただのおとぎ話に出てくるような幻の存在に過ぎず、決してたどり着くことはないただ虚構なのだと。
僕の祖父は、とても賢い人だった。彼の知恵を借りる為に、多くの人が、彼の書斎を訪れ、気難しそうな顔で帰って行った。祖父は、訪問者が去った後、必ず僕を書斎に呼び、祈るように抱しめ、こう言った。
「お前の魂が、あの館に還れるように。わたしは、いつも見守っているよ。」
今になって、彼の言う「あの館」というのが「キリエ館」であった事を知る。幼き日に、何度か彼に館の事を尋ねたことがあったけれど、明確な答えはなく、その内、こどもの移り気と共に、僕の館に対する興味は失せていった。
自分が、祖父の血を引いているな…と、強く自覚することがある。
こうして、彼と同じく手記をしたためているときだ。
寄宿舎のルームメイトに、寝物語としてキリエ館の話をした。僕も、その晩までは祖母と同じく、館は祖父の妄想の産物だと思っていた。けれど、親友は「ああ、キリエ館ね。」と、あたかも隣村の図書館かの如く館の名を知っていたのだ。
僕の親友の叔母は、この街では知らぬものがいないほど、美しい人だ。けれど、その美貌故に、人ならざる者ではないかという、まことしやかな噂まで立つ。その人が、幼き頃から、親友に語り聴かせた「魂の還る場所」こそが、キリエ館だと言う。
親友も僕と同じく、美しき叔母の語るその場所は、訪れる事の叶わぬ幻であると考えている。けれど、世代も違う僕の祖父と彼の叔母が、同じ館について同じように語ることに、僕は興味を抱いた。
ある晴れた秋の日。
街外れにある美女が住む屋敷で、僕は庭に咲き乱れる薔薇を眺めていた。
通された部屋には、薔薇の甘い香りとは違う、目の覚めるような透きとおる紅茶の香りが漂っていた。彼女いわく、僕にふるまわれたこの紅茶は、あの「キリエ館」でのみ調合される貴重な品らしい。
まだ、館の存在に疑念を抱いている僕の考えを見透かすように、彼女は柔らかく微笑み
「では、どこからお話しましょうか?」
と、優雅に茶器を傾けた。
08.09.2018